クラブ童貞を捨てた回帰
一番最初に初めてクラブ行ったのはいつ頃で、果たして何歳の頃だったかなと思い出そうとしてるんだけど、悲しいことに思い出せません。歳をとるって怖いですよね(笑)
多分渋谷のATOMかイエロー、だと思うんですよね。楽しすぎてその後、アゲハやら六本木alifeとか代官山airとか、少し洒落っ気付いて青山蜂とかもちろんclub asiaとかも足繁く通った記憶があります。
当時はサイケが流行ってて、ひたすらガシガシ踊るなりナンパしてたわけですけども、まだ20代前半の大学生にはずいぶん刺激的で、それまで音楽を体感するホームはライブハウスがメインだった上京数年の若造にはまさに東京の夜を見せつけられたようで、とても刺激的な経験だったように記憶してます。とにかく、あの薄暗い中にド派手な照明が暴れまわり、大人なお姉さんや怖めな兄貴って感じの人がいる空間に自分もいるって事で休みのたびに浮かれていました。
次第に遠のく足並み
その後数年はそんな感じで、クラブ友達とか顔見知りレベルの仲間も増え楽しく過ごすんですけど、だんだんオールナイトそのものが辛くなってきたり、仕事が忙しくなって遊ぶ気力なくなったりでクラブ遊びが減っていくわけですね。また異常に流行っていたサイケやテクノ系イベントも徐々に下火になっていったり、招待制でより身内感が強くなったり、郊外の田舎の山奥でのレイブカルチャーの方へと流れていくわけです。
同時に自分も学生ではないしもう起業していたので、夜の遊びもどちらかというと先輩経営者に連れられて、キャバクラとかそっちの方が増えて行ってクラブに行くのも本当にたまのことになっていきました。ある程度離れてしまうとクラブカルチャーのもつ求心力も薄まり、クラブ友達とも疎遠になっててしまいました。元々本名も知らなければ職場も分からないし、昼間の顔を知らないわけで、クラブという特定の空間でのみ付き合う間柄なのでそれは仕方がないのかなと思います。この頃は月に二回行けば多い方ってくらいクラブからは離れてしまっていました。
あの場所は若者のための場所
改めてクラブとは東京の文化やエネルギーが一極集中している場所であって、音楽はもちろんファッション分野、コミュニティの場としてもトレンド発信の場であるべきです。そして、いつの時代もギラギラして刺激的であるべきで、そのターゲット層はおっさんではない事は明らかです。別におっさんだからと卑下しているわけではなく、その方が健全だと思っています。都会に出てきた若者が興奮したり、誰かと恋に落ちたり、時には痛い目をみたりしながら、勝手に成長していく・・・、そういう場所なんだと思います。
だから若者よ、ノリと勢いでクラブ遊び行きましょう!きっといい思い出になりますよ。
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